慰める
やっちまった。
「やぁまぁざぁきぃいいいっ―――」
屯所に土方の声が響き渡る。もちろんその瞳孔はいつも以上に開ききってて、正に鬼の形相だ。
そして俺は―――逃げる。
何はともあれ逃げる。監察筆頭のあらゆる技術を駆使して全速力で。
「ひぃぃいいいいい」
情けない悲鳴が付いてくるのはご愛嬌。
勢いよく屯所の庭を走り抜け、塀に手を掛けひょいっとそれを飛び越えれば俺の勝ち。俺は見事夜の闇へと溶け込むことに成功した。
今回ばかりはマジやばい。
どういう訳か攘夷浪士と密通しているのかと迫られた。組にもたらされる情報は俺が全て網羅管理している筈なのに、なんでだ。誰がそんな事土方さんに吹き込んだ。そこら辺の平隊士なんておいそれと副長に近づく事なんてめったにないし、隊長達だっておかしな様子はなかった。そういう大きな秘密を握った人間はよほど訓練でもしていない限り行動がぎこちなくなったりするもんだ。そういう感じはなかった。でも、規格外な人間がそういえば一人だけいた。俺にも行動の読めない隊長が。―――沖田さんか。
俺は副長に問い詰められたとき、不覚にも即、否定する事が出来なかった。その間がいけなかった。みるみる副長の顔が鬼の形相へと変わり文字通り鬼の副長のできあがり。開ききった瞳孔で俺を見据え追いかけてきたという訳だ。
副長助勤という立場で大物攘夷浪士を恋人に持つ俺だ。黒か白かと聞かれれば黒な訳で。それでもいつもは何食わぬ顔をしてやり過ごせる術を持っているはずなのに、焼きがまわったのか・・・。
慌てて逃げてきたため靴も履かずに江戸の街を疾走してきた。足の裏がボロボロだ。もうすぐ就寝かという時間帯だったため幸い隊服ではなく、深緑色の着流し姿。これならどこかに身を潜めるのも楽そうだ。そして山崎が選んだのは大変賑わう居酒屋だった。
しばらくすると山崎の前には銚子が結構な数並んだ。もともとザルなのだ。しかし今日はペースが早かった為か仄かに酔いが回っているようだ。
「お〜い、親父ぃ〜、お銚子もう一本よろしくぅ」
大変陽気に追加注文をする始末。身を潜める気があるのか疑わしい。しばらくはそのまま一人で呑んでいた山崎の隣にいつの間にか派手な身なりの男が現れた。
「退殿」
「あれ?万斉の幻が見えるぅ」
「幻ではござらぬよ、拙者本物の河上万斉でござる」
「え、ほんものぉ?え、何で居るの?」
「退殿の居る所ならどこへでも馳せ参じる」
「探知機でも持ってるの?てか、キモい」
「酷いでござる。それにしてもぬしが一人で深酒とは珍しい」
それを聞いた途端、山崎の目からぶわっと涙が溢れだす。これには万斉が慌てだし、如何したと問えば、『副長にバレたっぽい』と更に涙が溢れだした。
攘夷浪士の己と深い仲になっていようが、山崎の誠は真選組にある。だから一番知られたくなかった土方に疑われ、途方に暮れて涙が止まらないのだろう。しばらくは山崎の隣に座り、涙交じりの泣き言に慰めの言葉をかけていた万斉だったが、どうにも埒が明かないと、場所を変えようと山崎を外に連れ出した。
とめどなく涙を流す山崎の肩を抱き店を出たところで、黒い服の男たちに囲まれた。もともと潜む気が無い己と、泣きぬれて悪目立ちをしていた退殿の取り合わせはさぞ人目を引いたことだろう。真選組が嗅ぎ付けるのも当然か。
突然の出来事にいよいよ進退窮まった山崎は動く事もままならない。河上は動かない山崎を抱きかかえると、目の前で恐ろしい形相で睨みつけている土方に向かい口の端を上げて不敵に嗤う。そして鍛え上げられた脚力で屋根まで跳躍し颯爽と包囲網をかいくぐる。そのまま疾走すれば、もはや追いついてこれる追手はいなくなった。
退殿。もはやこれで言い訳は出来なくなったでござるよ。
さて、どうやってぬしを慰めてやろうか。そして早くここまで堕ちてくればいい。