押してタメなら引くも一手
退殿は怒ってるでござろうな・・・
いや、怒って貰えると思うのも拙者の思い上がりか。最早覚えてくれてさえおらぬやもしれぬ。いやいや、退殿の体に己が刺し貫いた傷がある限りよもや忘れ去られるという事はないであろう。ならば・・・拙者、殺される。
鬼兵隊幹部・河上万斉の眼下にはほぼ1年ぶりに見る地球があった。漸くここに帰ってこれたというのに、何とも気の重い・・・。
――― 退殿は元気でござろうか
ため息をつく万斉の隣で高杉晋助がクククと嗤っている。
「そんなにご執心だったとはねぇ。こりゃあ面白いもんが見れそうだ」
「そういう事ではござらん。晋助は退殿を知らぬゆえ面白がっていられるのでござる」
「なら俺にも紹介してほしいもんだな」
「断るでござるよ」
拙者の恋人「山崎退」という男には真選組筆頭監察という肩書が付いてくる。鬼兵隊の敵である真選組の男を容易く紹介などできるはずもない。それに加えて山崎の性質。監察という仕事柄か普段から地味な出で立と立ち居振る舞いをしているが、その実、真っ黒い狂気とも呼べる代物をを内面に飼っている男なのだ。普段それが表に出ることは無いのだが、晋助に会わせるなどいろいろな意味で恐ろしい。
事の起こりはおよそ1年前。
恋人との密会の帰り、突如目の前に晋助が現れた。その顔は冷たい嘲笑を浮かべていて、己が秘密がもはや秘密ではなくなったと悟る。と、同時に背中に冷や汗が滲んだ。これは拙者、退殿共々粛清される運びかと覚悟した万斉だったのだが、晋助の「万斉、俺を裏切るような真似してみろ、わかってるだろうな?」という、暗に「次は無い」という脅し、あるいは釘を刺さされたという形で晋助と殺りあうことは免れた。そして「鬼兵隊はこれから宇宙に乗り出す」と聞かされた。初耳だ。宇宙行きを知らされておらぬということは晋助の信頼を失くしつつあるようだ。しかし晋助の口ぶりからもどうやら相手の素性を薄々感づいている様子でもある。ここで逆らうのは得策ではない。大人しく晋助に付き従いその足で宇宙へと旅立つ事に。そして今日に至る。
眼下には街や山や海や川がだんだん近づいてきて、もうすぐ到着なのだと知れた。
真選組監察筆頭・山崎退は今日も潜入捜査で攘夷浪士のよく集まる酒場などを回っていた。ここのところ攘夷浪士達に目立った動きはみられないが、未然にテロを防ぐのも仕事なのだ。そして何の気なしに入っていった店で面白い情報を得た。高杉率いる鬼兵隊が何かはじめるらしい。
――― へぇ。アイツ帰って来たんだ。ちょっと挨拶でもしに行こうかなぁ
酒場を後にした山崎は口の端だけでにいっと笑う。さて明日は非番だし、ちょうどいい。
急ぎ屯所に戻り、副長に今日の報告を済ませ外泊許可を得る。
「副長、それでは行ってきます。あさっての朝までには戻ります」
「ああ。ん?なんだその荷物は」
「ああ、ミントンのラケットですよ。ちょっと合宿なんです」
「そうかよ。ああ、早くいきな」
「では失礼します」
と山崎が退室していってから土方は首をひねる。ラケットってあんなに長かったか?
一方夜の町に出かけた山崎は、ほっと胸をなでおろす。俺としたことがなんで副長の所に荷物もったまま行っちゃたんだろ。気持ちが焦りすぎだっての。
山崎の手にある袋は丁度脇差が収まりそうなほどの長さだった。
万斉は重い足取りで隠れ家の一つであるマンションに帰って来た。ここは表の仕事用の部屋でもある。
部屋に入り灯りを付けようとしたその時。首筋に冷たい物が押し付けられた。
「!!!」
今の今まで殺気も気配もまったく感じさせず、万斉には聞き取ることができる筈の魂の音さえも聞こえなかった。殺られる!!緊張が極限まで高まったその時。
「ねえ河上さん、今までどこにいってたのかなぁ?」
それは地の底から響いてくるような、悪魔のような声だった。でもそれは耳によく馴染んだ声で、とても欲していた声だった。
「さ、退殿!?ど、どうやってここに?」
「企業秘密。で?」
「ああ、ちょっと遠くまででござる。なかなか忙しくござって・・・」
と、とぼけてみるが何をどう言えばいいのか正直分からない。
「へぇえ。忙しさにかまけて1年近くも音沙汰なしなんだ・・・。ねぇ、俺の事バカにしてんの?もしかして死にたい?」
「っさ、左様なことは・・・」
ここで漸く首筋から殺気が離れ、ガチャっと音を立てて刀が下に落とされた。何とか死は免れたようだとほっとする万斉。本当に肝が冷えたでござる。
今まで痛いくらいに張りつめていた空気から一変。
『ぽすっ』と、背中に衝撃。山崎が万斉の背中に縋りつく。
背中からは気高く美しい魂の音が切なさと甘美な旋律を交えて万斉を包み込んでいる。
これはどういう事だ?退殿が拙者の背中にしがみついているでござる。今までいくら頼んでもそんな甘えるような事はしてくれた試しがなかっというのに!
「無事で良かった」
「え!?」
「万斉が無事に帰ってきてくれて、本当に良かった」
先程までとは全然違う男性にしてはちょっと高めの、とても優しい声だった。
「さがる・・・。すまぬ」
「何を謝るの?・・・うん、宇宙って凄く遠いよね」
「ぬし、知っておったか」
「だーかーら。俺の事バカにすんのも大概にしろよ?伊達に真選組監察筆頭じゃないんだよ!本気出せば鬼兵隊の動向ぐらい・・・」
「ああ、そうでござったな。退はとても優秀でござった」
そうか。この優秀な監察の恋人には全てお見通しだった訳か。船の中で散々悩んでいたのが馬鹿らしくも思えるが、胸につかえていた重いしこりが嘘のように消えた。
「退、顔を見せてくれぬか?」
すると漸く山崎は背中から手を放した。万斉は山崎に向き直りその頬を両手で優しく包み上を向かせ、1年ぶりに愛しいものの顔を見つめる。
「ただいまでござる」
山崎の目が潤んでいた。
「ばーか。帰って来んの遅いんだよっ」
そしてとうとう涙が一筋。
「去年のクリスマスも俺の誕生日も万斉の誕生日もバレンタインとか、もう、全部全部過ぎちまったじゃねーかぁ。万斉のばーかぁ」
一度口をついて出てきた言葉は押しとどめることは出来ず、それは涙も同様ではらはらとあふれ出ては万斉の手を濡らしていく。そして最後に消え入りそうな声で「お帰り。・・・寂しかった」と。
万斉はがばっと山崎を抱きしめ、優しく頭を撫でながら山崎が落ち着くまで何度も何度も「ごめん、すまぬ」と謝り続けた。
そうして漸く山崎が落ち着きを取り戻した頃。
「退。もしよければこれから祝わぬか?」
「は?なにを」
「一緒に祝えなかったクリスマスもお互いの誕生日もいろいろ全て全部でござる」
「1年間分の?」
「ああ。1年分でござるよ。いや、実は今日に限って本当に都合よくなのだが、仕事場でケーキを貰ったでござる。」
如何?と耳元で囁けば、真っ赤な顔をしながらもコクンと頷く。腕の中に閉じ込めていた山崎を開放し、でも手は離さず部屋の中へと招き入れる。そして漸く灯りのついた明るい部屋で見つめあい、微笑みあう。
テーブルの上には可愛らしい箱に入ったケーキ達が出番を待ちわびている。募る話も1年分。恋人達の夜は始まったばかり。
「「おめでとう」」そうして2人はケーキを食べながら楽しい時間を過ごした。
明け方近くまでしゃべり続け、はしゃいでいた山崎だったが今は喋り疲れたのだろう、ソファーで眠ってしまった。万斉は山崎の髪を梳きながらその幸せそうな寝顔を見つめ1人思う。
『今日の退はどうしたのでござろうか。前々からツンデレだとは思っていたがよもやこれほどとは。会えなかった1年が、あれか?押してダメならなんとやら・・・でござろうか。そうであったならなんて可愛い人だろう。この1年もまんざら無駄ではなかったでござるな』と。その顔はとても穏やかな笑みが浮かんでいた。
何はともあれ、今日は初めて素直な一面を見れた記念日ともなったわけで、万斉にとっても特別な日となったのはいうまでもない。