ちょっと仕事になりませんよ!
ここ数日山崎の捜査は続いていたが、思うような成果は上がらないでいた。それというのも、黒い忍び装束を着込んでの諜報活動は効率がいいとは言い切れない。もちろんこの方法でも情報を探ることは可能だが、必然的に活動時間が限られる。闇が濃くなってからという限られた時間だけでは成果が出ないのも無理からぬこと。もっと明るいうちから聞き込みなり潜入捜査が出来ればよいのだが、それが出来ない理由が山崎にはあった。
ここのところ、巷で変な噂が流れだした。その噂を初めて耳にしたとき山崎は自分の耳を疑い、そして自分の失態を知ることとなった。
いつものように、酒場での情報収集中に隣りに座った男に話しかけられた。
「よう、兄ちゃん。幻の攘夷浪士の話、聞いたかい?」
は?幻の攘夷浪士?そんなの聞いたことないな。他の監察方からもそんな報告は上がって来ていなかった。筆頭監察である自分に報告されてない情報なんて無いはずだ。
「えっなにそれ、聞いたことない。どんな話なの?」
まあ、おひとつどうぞと男の杯に酒を注ぎ話に乗れば、男は気をよくして話し出す。
「聞いた話じゃ剣の腕は相当なもんらしい。なんでも人斬りの河上万斉とやりあって互角って話だ」
「へぇ。そりゃ凄いね!」
「だろ?だがよ、相手の河上も相当腕が立つ人斬りだし、無傷では済まなかったのよ。ここ、胸の辺りにぐさっと刺された傷跡が今でも残ってるんだと。」
え、胸に刺し傷!?自然と自分の胸を抑えてしまう。
男はグイっと酒をあおり、話を続ける。
「そうそう、丁度兄ちゃんが抑えてるあたりに、ぐさっと。」
「・・・へぇえ」
「あの人斬りにやられて生きてんだ。ただ者じゃないだろう?」
ですねー・・・。なんかドキドキ動悸が激しいような気がしてきた。もう、この話聞かなくていいかな?聞かなくていいんじゃね?俺の動悸にお構いなしに男はだんだん酒がまわって得意げに話を進める。
「どうやら、鬼兵隊を潰す気らしいよ。きっと刺された恨みだろうなぁ。ついこの前も飲み屋で鬼兵隊の下っ端のやつらがそいつに瞬殺されったて話しだ。
ありゃあ、下からじわじわ攻めていくつもりにちがいねぇ。」
胸の傷に飲み屋で瞬殺。なんか覚えがありすぎてコワイ。でも俺の名誉のために言っておこう、殺しはしてない。
「ところで、幻ってのは・・・」
「そうそう、それよ。なんでもその出で立ちが何の特徴もなくひたすら地味なんだとよ!だから周りに居た連中も誰もそいつの顔を覚えてねぇのよ。だから幻なんだよ。そういや、兄ちゃんも大概地味だなぁ。あっはっはっは」
地味ってなんだよっ、この酔っ払いが。と心の中で毒づく。とりあえず、男には面白い話のお礼として酒を馳走しその場を辞した。
どうしようこんな話、副長に報告できんよ。殺される!!
副長の『やぁまぁざぁきぃぃいい』という地を這うような声が聞こえた気がして身を震わせた。
事の起こりは小さな酒場での小さな諍いだった。
初めは酔っ払い同志の小突きあいから始まった喧嘩だったのだが、双方とも帯刀していたのが良くなかった。仕舞には抜刀しての大立ち回りに発展してしまったのだ。何分酔っ払い同志、足元も危ういのに刀を振り回すものだから、剣先がどこに向かうか分かった物ではない。
店に居合わせた他の客も、身の危険を感じ逃げだし、潜入捜査に来ていた山崎も逃げ出そうとしたのだが、運が悪かった。
「うわぁぁこっちくんなー」と祈っても、残念な不幸体質が原因か、暴れている酔っ払いは山崎の方に移動してきてしまい、そのまま山崎を間に挟む格好になってしまった。さらに残念な事に酔っ払いに正常は判断はつくはずもない。山崎の背中に冷や汗が湧き出るが、既にお互いしか見えていないのだろう。間に山崎がいるにも関わらず、お互いに向かって刀を振り下ろした。
その場に残っていた誰もが間に居た山崎が切られたと思っただろう。だが、山崎は前と後ろから振り下ろされる刀を持前の俊敏さで何とか躱すことに成功。とっさに2人にの鳩尾に拳を叩き込み昏倒させてしまった。
『うわぁ、やっちまったよ。俺目立ってどうするよ。こんなんバレたら副長に殺される!!』
と、山崎が一人で焦っている間に当たりは静かになっていて、周りの視線が己の胸あたりに集まっているのがわかった。よく見ると、剣先を正に紙一重で躱したらしく着物の前と背中がぱっくりと切られていて、着物の下からは胸から背中までを貫通したあまり綺麗ではない、刺し傷が露わになっていた。それは動乱事件の折り河上に刺された傷だった。山崎が一目散にその場から逃げだしたのは言うまでもない。この時騒ぎを起こした酔っ払いが鬼兵隊の下っ端だったのがさらなる不幸。こうして噂は紡がれていく。山崎退、薄幸な男だった。
男から噂を聞いて後、数日もすると、浪士達の間で面白いように噂は広がり、とうとう山崎は潜入捜査をあきらめる他なかった。そうして忍び装束での諜報活動という現在に至る。
そもそも今回の任務は鬼兵隊が江戸に潜伏しているという情報を確かめる事だった。その情報が事実なら潜伏先も突き止めたい。何をする気か知らないが悪事を未然に防ぐのも真選組の仕事。今はとにかく情報が欲しかった。
小さな噂話でも何でも耳にすれば全て調べて回って確かめるしかない。今日とて鬼兵隊の高杉らしき人物を見たという宿屋を張り込み中だ。
山崎は件の宿屋が程よく見える場所に部屋を借りて、宿屋の様子を覗っていた。今の所高杉の姿も見ないし、接触しようとする怪しい人物の出入りもない。
ここはハズレかもしれない。そろそろ撤退するかと思案していた時だった。宿屋の2階の障子が少し開き、その隙間から片目の男がこちらを真っ直ぐに見て口の端を吊り上げ嗤った。
山崎はとっさに窓枠から離れ身を隠した。そして頭を抱える。
あれ、高杉晋助だったよねっ。確実に俺バレてたよね。なんだろうあの嗤い。そこに居るのは分かってるぞ、いつでも殺れるぜ的なやつだろうか。超怖えぇぇ。そうとわかればこんな所には1秒でもいられない。さっさと撤退して副長に報告しなくちゃ。
「もう、遅いでござる」
死神の声がした。
今まで何の気配もなかったはずなのに目の前に黒い影が現れる。突然の事に反応の遅れた山崎はあっという間に間合いを詰められ、胸元に刃を突き付けられていた。懐に忍ばせている暗器を取り出す暇もなかった。こうなってはもう、動けない。
「久しぶりにござるな。山崎殿」
自分よりも大きな体躯。逆立った髪。変なヘットホーン。イケてるのかイケてないのか判別が難しいサングラス。センスがよくわからないロングコートに背負い三味線。
「お、お前は…河上、万斉!」
俺の人生終わった。
ここまでかと覚悟を決めたが、胸元の刃は突き立てられる事なく、河上の殺気と共に背負い三味線の中に収められた。山崎はそんな河上を信じられないと凝視していると、世間話でもするかの如く河上が語りかけてきた。
「ところで、胸の傷はもう痛まぬか?」
なんだこの変わりようは。胸の傷は痛まぬかだって?お前が刺したんだろうがっ。めちゃくちゃ痛かったわっ。思い切りツッコミたい所だ。河上の様子に拍子抜けすると同時にふつふつと黒いものが自分の腹の底から湧き上がってくるのを抑えられそうもない。
「・・・ああ、おかげさまでね」
自分でもちょっと吃驚するぐらい低く冷たい声が出た。たぶんこの上なく目も据わっていることだろう。そんな俺を見て河上が目を瞠った。
「やはりぬしは、拙者が思っていたとおりの男でござった。本当に心踊る音楽を奏でる」
とても嬉しそうに言うので俺の眉間には皺がよる。
「何が?意味わかんねぇよ」
「いつもはただ地味なくせして、その実、内面には恐ろしく黒い獣を飼っているのでござろう?その闇は晋助と同じでござる」
なにか失礼な事を言われた気がするが、それよりもテロリストと一緒にされたくない。
「あんなテロリストと一緒にするなっ」
「違わぬよ」
静かに諭すように河上は続ける。
「それが本来の山崎殿でござろう?なぜそれを隠してまで真選組などに埋もれているのでござる。それではせっかくの獣が飼殺しだ。ぬしも気づいているのではないか?」
「・・・わかったような事を言うなっ。お前に俺の何がわかる!」
「さて、皆目わからんでござるが?」
河上はこてっと小首を傾げてみせる。
「なっ、ふざけるな!お前が言い出したんだろうがっ」
つくづく腹の立つ男だと思った。いつまでもこのまま言い合っているのも馬鹿らしい。この男はいったいここに何をしに来たのだろうかと山崎は今更ながらに思った。
「何をしに来た、でござるか?そんなに驚かずとも今ぬしの考えている事ぐらいは推測できるでござる」
「・・・で、何しに来た訳?結局は俺を殺すのか?」
「まさか。せっかく生かしたのだ殺しはせぬよ。ただ、拙者はぬしが気に入った」
サングラス越しでも注がれる真っ直ぐな視線にどきりとする。
「ぬしを拙者のものとするために来たのでござる」
「・・・」
なんですと?河上はいったい何を言っているんだ?
憎らしい程の真剣な眼差し。息を飲む。視線を絡ませ時が止まる。
長い夜は、まだ始まったばかり。
仕事どころではなくなった。